目次
始めに
こんにちは。
スクタプの開発・運営を担当している吟遊堂です。
日本文学豆知識の第2弾です。
今回は、古典文学がどのように現代まで伝わってきたのか、その方法についてお話していきます。
長い歳月の中で、どのようにして文学作品を後世に伝えていったのか、という部分に焦点を当てていきます。
記事の後半では、『土佐日記』という作品を取り上げていきたいと思います。
詳しくは後ほど書いていきますが、『土佐日記』は古典の中でも少し珍しい伝わり方をしている作品なんです。
それでは早速、古典がどうやって受け継がれてきたのか、その方法を見ていきましょう。
古典の残し方
古典というと、いろいろな作品が思い浮かぶことでしょう。
紫式部の『源氏物語』や、清少納言の『枕草子』、作者不詳の『竹取物語』あたりは、学校で扱われることも多く、代表的とも言えますね。
書店に行けば、多くの出版社が小説や漫画、絵本など多種多様な形式で古典作品を書籍化しています。
これらの書籍の本文は、どこから持ってきたのでしょうか。
絵本や漫画であれば、現代語に訳されています。
絵本だと、さらにそれを伝わりやすい言葉にしていますね。
つまり、訳される元になった文章があるわけです。
小説の場合も、現代語訳のみ掲載している書籍もあれば、古文と現代語訳を横に並べているものもあります。
この場合は、掲載されている古文を現代語に訳しているということですよね。
それでは、その古文はいったいどこから持ってきたのでしょうか。
このようにたどっていくと、本来であれば著者の原稿に行きつくはずです。
しかし、古典ではそうはいかないのです。
例えば、紫式部の『源氏物語』。
現代でも、教科書に載ったり小説や漫画になったりと、目にする機会は多いと思います。
ですがこの作品、実は紫式部が書いた原典は残されていないんです。
印刷技術など存在しなかった時代に書かれた作品は、人の手で書き写されて残されます。
これを写本と呼ぶのですが、『源氏物語』に限らず、古典作品は基本的に写本しか残されていません。
千年前の作品もありますからね。
長い年月の中で失われてしまうのは、避けがたいことでした。
- 人に渡したら帰ってこなかった
- 災害で失われた
- 争いの混乱で紛失した
このように、様々な理由で古典は失われます。
調べていくと実感しますが、古典はほかの時代に比べて作品数が少ないんですよね。
日本文学史では近世と呼ばれる江戸時代などは、比較的時代が近いこともあって作品がたくさんありますし、近現代は言わずもがな。
けれど上代、中古、中世と区分される飛鳥時代~室町時代では、そこまでたくさんの作品が残されていません。
これは、その時代に執筆された作品が少なかったわけではなく、現代まで残すことができなかった作品が多く存在しているということなんです。
現存していない作品について言及している日記などが残されているという話を聞いたことがあります。
タイトルやちょっとした引用は残されていても、本文はどこにも見つからないという作品もあるんです。
そういった、失われてしまった作品を散逸物語と呼びます。
今に伝えることができなかっただけで、面白い作品もきっとあっただろうことを思うと口惜しいですね。
それほどまでに、物語を伝え残すというのは難しいことなのです。
残したいと願われた作品であっても、災禍に巻き込まれて失われてしまうことだってあります。
現代に残された古典作品は、誰かの残したいという思いや、偶然によってなんとか生き残った幸運な作品ばかりです。
こうして見ていくと、今私たちが手にしている古典は、数々の偶然と努力の上に残っているものだとわかります。
そう思うと、書店に並ぶ古典が貴重なものに思えてきますね。
写本のかたち
続いて、写本について触れていきます。
先ほど紹介した通り、印刷技術がなかった時代、書籍は人力で書き写されていました。
書き写された文章をさらに誰かが書き写して、それをまた誰かが書き写すというように、写本の中でどんどん広がっていくことも多いです。
現在残っている古典も、多くはこうした写本を通じて伝えられてきました。
現代では、それらをもとに小説や漫画などへ再解釈されることもあります。
しかし、写本にもいくつか注意点があります。
第一に、書き損じの可能性を否定できないのです。
文章を書き写す過程でちょっとした誤字脱字があるというのは、よくあることですよね。
人間ですから、当然ミスも可能性として視野に入れておく必要があります。
第二に、読めない言葉があったときにどう書き写すのかという点です。
少し前の時代では普通に使われていた文字が現代では使われなくなっている、というのは令和の時代でもあることですよね。
私も旧仮名遣いなどは読めない字が多いです。
写本を作ろうという人も、そのような読めない言葉に遭遇したことがあるはずです。
あるいは、読むことはできても用途が変わっている言葉などで誤解してしまうこともあったと思います。
そのとき、どのように書き写すかというのは難しい問題です。
見様見真似で書き写す人もいるかもしれません。
しかし、例えばそれを読み物として書き写すのであれば、わからない言葉をわかる言葉に書き換えて写してしまう人もいますよね。
自分は理解できてもほかの人にとって現役の言葉ではないなら、同じ意味の言葉に書き換えるというのは考えられるケースです。
せっかくの作品なのに読めない言葉で書き写してしまうと楽しめませんからね。
目的の違いといってしまえばそれまでですし、どちらが良い悪いという話でもありません。
肝心なのは、様々な理由によってパターン違いの写本が生まれてしまうということです。
そのために、同じ作品にもかかわらず、内容が異なる写本が現代に残されるのです。
それでは一体、現代ではそれらの写本に対してどのような対応をしているのでしょうか。
これは、「文献学」と呼ばれる分野で研究が行われています。
古典の活字化を行う場合は、なるべく作者が書いた本来の文章を使いたいですよね。
そういった、作者が書いた文章である原典を目指して、様々な写本をつき比べたり調査したりといったことを行っているのが文献学です。
そうはいっても、原典が散逸してしまった作品ばかりです。
そのため、原典をよみがえらせるというのは、ほぼ不可能に近いともいえます。
正解が誰にもわからないのですから、仕方がありません。
それでも研究は少しずつ進んでいますし、ほぼ不可能というだけで完全に無理だというわけでもありません。
どれほど先の話になるかはわかりませんが、いつか失われた原典に近づける未来が来るかもしれませんね。
『土佐日記』の特殊性
最後に、『土佐日記』の少し特殊なポイントについて紹介していきます。
『土佐日記』は、紀貫之が書いた日記体の紀行文です。
紀貫之本人は男性ですが、筆者を女性に仮託しているのが特徴ですね。
古くは『土左日記』と書かれたそうです。
成立年代が確かな日記文学の中で、最古のものと言われています。
多くの作品に影響を与えたということもあり、重要な作品です。
実は、この作品にはほかにも注目すべき点があります。
それが、紀貫之の自筆本を直接写した写本が現存しているという点です。
先ほどまで紹介していた例にもれず、『土佐日記』も原典は残されていません。
しかし、10世紀の作品である『土佐日記』は、原典がおそらく16世紀ごろまで残された可能性が高いと言われています。
その間に自筆本を書写したものが、現代まで残されているのです。
中でも、特に国語学資料として価値があるとされるのが、1984年に発見された為家書写本です。
為家書写本とは、藤原為家が紀貫之自筆の『土佐日記』を書き写したものです。
この写本の特徴として、為家が『土佐日記』原典を忠実に書写している点が挙げられます。
奥書があり、一文字も間違えずに書写したという旨の文章を為家は残しています。
この資料は国宝に指定されていて、そこからも資料の貴重さがうかがえますね。
この資料やほかの写本もあって、『土佐日記』は原典の再建に一番近しい古典と言うことができます。
これこそが『土佐日記』の、ほかの古典とは異なる特殊性になります。
成立当時に近い文章に触れられるというのは、歴史の長さを鑑みると驚きますね。
幸運でもあったのだろうとは思いますが、それほどまでに大切に守られ、残されてきたというのは並大抵のことではありません。
この事実は、それだけこの作品が高く評価されてきた証でもあるのでしょう。
終わりに
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
今回は、古典の伝え方や『土佐日記』の特殊性について紹介していきました。
原典が失われてしまった作品は数多くありますが、それでも残されたものがあると思うと感慨深いですね。
原典をよみがえらせるほど精密な写本はほとんど残っていません。
それでも、そもそも1つの作品を書き写すという作業自体が非常に大変なものだったはずです。
そこに誤字脱字があったとしても、原典から言葉が書き換えられていたとしても、その作品を残したかったという思いが確かにあったことは事実です。
残してくれた誰かがいたからこそ、今その作品に触れることができるのです。
もし原典がよみがえる日が来たなら、ぜひ読んでみたいですね。
しかし、様々な写本に触れられるのも、残されたものを受け取った現代人の特権かもしれません。
ここまで読んで、古典に興味が湧いた方はぜひ読んでみてください。
古文そのものではなくとも、現代語訳された小説や漫画など、いろいろな形で古典作品は存在しています。
きっと面白い出会いがあるはずですよ。